中国新聞


 ■ 平成 心もよう ■
「愛して」子を試す母
虐待しては抱き締めて


 「こんなにひどいことをしても私が好き?」とわが子を試すような虐待をしていた。広島市の自営業直美さん(36)=仮名=が少しずつ人に話せるようになった過去の自分の姿である。言葉にすることで気持ちが整理でき、子に謝れるようになった。子にも変化が見えてきた。(編集委員・石田信夫)


 長男(14)がまだ幼稚園のころ。何が気にさわったか、まつわりつくのを邪険に引きはがして無理やり部屋の外に出したことが何度もあった。

 バタンとドアを閉めるとわんわん泣き叫ぶ声。しばらくしてドアを開けると、わっと抱きついてくる。抱きついてくれば「かわいい」。だから出しては入れ、出しては入れた。

 食事の時も似ている。座り方や食べ方など、ちょっとしたことで鬼のように怒って泣かせる。声がかれるくらい泣いた子に「ごめんなさい」を言わせ、最後に「ママが好き?」と尋ねる。好きと言ってくれれば、つきものが落ちたようにかわいくなり、抱き締める。

 「泣かせてはすがりつかせる、の繰り返し。子どもを愛してはいたけれど、それ以上に『私を愛して』と子どもに求めていたと思います」

 知人なく孤立

 子育ての環境は厳しかった。二十一歳で結婚。大阪で夫の母と同居するが、知人もなく孤立していた。生まれたばかりの長男はよく夜泣きし、義母が抱くと泣きやむのが腹立たしかった。

 七カ月の時、泣く子を立ってあやしていたら義母に言われた。「代わろうか」。何かが切れたようで、抱いた子の手を放した。思えばそれが虐待の始まりだった。

 かわいくない、でも懐けばかわいい。その後は相反する気持ちの揺れに任せて、たたく、つねる、言葉で追い込む。そして愛情の確認である。

 六年前に離婚して広島の実家に戻り、虐待は一応収まった。しかし後ろめたさは残る。

 転機は、誘われてのぞいた連続講座だった。母親とサポーターが、手のひらで赤ちゃんの素肌をさすりながら子育てのことなどを語り合う場。本音を言える雰囲気があった。

 ある時、一人の母親がうまく育てられないつらさを涙ながらに語った。思わず「私もできなかったのよ」との言葉が口をついた。周りから「私もよ」と声が上がる。

 「気持ちが軽くなりました。自分だけがダメな母親、とずっと思っていたので。そこから少しずつ、少しずつ話せるようになった」

 「悪い子」喜ぶ

 講座主宰の宇治木敏子さん(48)=日本タッチ・コミュニケーション協会理事長、呉市=によると直美さんのように「私の方こそ愛されたい」と子ども虐待に至る母親は少なくない。要因の一つに母親自体の被虐待経験があるともいわれる。

 しかし胸の内の苦しさを誰かに話し「そうだったの」と共感してもらうと、自己肯定感が得られる。目を背けていた過去に向き合い、背負い直す勇気が生まれるという。

 こうした心のプロセスを経て、直美さんは長男に対するぎごちなさが薄れてきた。四年前、思い切って寝ている背中を気持ちを込めてさすってみた。

 途中で目が覚めたが、嫌がらなかった。通じたようでうれしかった。以来、疲れた様子の時には手や足をさすってやり、その気持ちよさそうな表情で愛情を確認した。

 中学生になった今では「怖い母さんだったね。ごめんね」と口に出して自然に言えるまでに。

 長男も変わってきた。

 「前は私の機嫌をうかがい、おつかいでも何でも頼んだらすぐ聞いてくれる『いい子』だった。今は友人と一緒に自分のしたいことをする『悪い子』になってくれた」  それが素直に喜べる。

(2006.6.14)


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