中国新聞


山村留学 探る新時代
地域の教育力 どう高める


 親元を離れた児童・生徒が寮や里親の家で暮らし、地元の公立学校に通う「山村留学」。三十年余りの歴史を経て今、淘汰(とうた)の時代を迎えている。歯止めなき地方の過疎・高齢化と市町村合併に伴い、受け入れが次第に困難になる現実がある一方、新たなモデルケースの模索も続く。全国の動きと重ね合わせ、中国地方の新旧二つの現場を取材した。(編集委員・佐田尾信作)

 ▽「長期」と「短期」で信頼感 【大田市】

 「サンパチ(昭和三十八年)豪雪みたいな降り方だなあー」。一月中旬の祝日の朝、地元の自営業林一敏さん(60)が雪道を登ってきて驚く。

 ここは三瓶山(一、一二六メートル)の北麓(ほくろく)、大田市山村留学センター・三瓶こだま学園。数日来の雪は大人のひざまで積もり、午前中予定していた近くの炭焼き窯からの窯出しは午後に延期。長期留学の小学生たちは指導員の手伝いで「かまくら」を掘り、受験を控えた中学生たちは部屋にこもる。「よく見たら外で遊んでるの、大人ばっかり」という笑い声も。男子を中心に十四人の小中学生が共同生活を送る。

 林さんは長期留学に先立つ短期留学のベテラン里親。受け入れた子どもは千人を超す。長期と並行する短期の自然体験合宿などに今も顔を出し、前日は市内の小学生たちに軒先のつららを取ってやった。「短期の子には喜んでもらい、長期の子にはしっかり指導する」。車の両輪にも似た仕組みがここにはある。

 同市の山村留学は一九九三年の検討会議設置にさかのぼる。山間部の小中学校の児童・生徒数減少を補おうと、市議会で提案が浮上。財政事情や市民感情などもあってすぐ長期留学には踏み切らず、九六年、里親が受け入れ先になる年二回の短期留学、「夏・冬休み自然体験村」から段階的にスタートした。

 その後、長期留学も二〇〇四年に小中学生十二人の受け入れで始まり、今が五年目。センターは国交省の補助事業で同じ年に開設された。専門機関の財団法人育てる会(東京都武蔵野市、青木孝安理事長)がノウハウを提供し、人材を派遣。共用校舎の北三瓶小・中に通学しながら、センターで月に二十日、六軒の里親の家で十日暮らす「センター・里親併用方式」を採用している。

 育てる会関西事務局の山本光則さん(55)は「きちんとした教育システムの中で、子どもたちがそこに住む人たちの暮らしに学ぶ仕組みでなければ、今後の山村留学はダメになる」とみる。大田市に当初からかかわり、全国各地の事例も知る。

 例えば、学校の存続対策を強く打ち出してきた地域ほど、今行き詰まっているという。「地域の教育力を高める」という目標を掲げなければ、自治体も予算を支出しにくい。「里親だけでは長続きしないが、『寮を建てるから請け負ってくれ』といった申し出もお断りしています」と言う。

 また、林さんは短期留学と長期留学の相乗効果を実感している。「短期の積み重ねが『長期で預けてもいい』という親の信頼感につながる。『長期は難しいけど、短期なら』というケースにも対応できますから」と自身の体験を振り返る。

 ▽施設開放 課外授業も 【岩国市本郷】

 この地も一面雪景色だった。羅漢山(一、一〇九メートル)の南西、岩国市本郷町の本郷山村留学センター。ヒノキやスギなど錦川流域産の無垢(むく)材を使った建物に入ると、室内は木質ペレットを燃料にした床暖房で暖かい。

 旧本郷村が取り組んできた山村留学は八七年にさかのぼる。旧センターの老朽化や中学生受け入れに伴い、〇四年、林野庁の補助事業で新センターが建設された。現在は関東、関西、東海、九州のほか、山口、広島両県の出身の小中学生十六人が暮らし、地元の本郷小・中に通学。一年以上の長期留学だけを受け入れ、その存在は口コミで知られてきた。

 始まって二十二年。所長の佐古三代治さん(51)は「当初は議会などから風当たりが強かったが、今はこの地に溶け込めたと思う。継続は力なり、ですね」と切り出す。これまでに延べ四百三十人を受け入れ、三十代半ばに達した「卒業生」も。センター指導員としてカムバックし、そのまま結婚、定住した女性もいる。

 本郷小では四十七人の児童のうち、留学生が十二人。今は転校生扱いされることはほとんどないという。留学生が常に在籍することで複式学級にならずに済み、センターを同小の寄宿舎として位置付けることで教員も加配されている。センターと地元小学校は極めて密接な関係にある。

 また、センター一階の多目的ホールや研修室は地域に開放。最近では地元に定住した薬用植物研究者の課外授業などが開かれる。地域開放は新センター建設の条件の一つで、「現状は利用客年間六千人の目標には遠いが、留学生がいない夏休み、冬休みのセンターをいかに有効利用するか、引き続き考えたい」と佐古さん。公費で成り立つセンター方式の山村留学に共通の課題でもある。

 ▽参加減 学校再編にも直面

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 長期山村留学は七六年、長野県八坂村(現大町市)で始まった。育てる会の実態調査によると、〇七年度までに参加した小中学生の延べ人数は一万四千七百八十三人。同年度は全国九十八市町村百七十五校で実施され、六百八十九人を受け入れている。

 しかし、参加者数は〇四年度の八百六十人をピークに年々減少。受け入れ校も〇三年度の百九十六校がピークで、〇七年度の一校平均の参加者数は三・九人と過去最も少ない。過去、山村留学を受け入れようとした小中学校の三分の一が断念するなど、山村留学は日本の地方の現実も反映してきたが、今また、「平成の大合併」に伴う学校再編に直面している。

 〇五年に仁摩、温泉津二町と合併した大田市は昨年、学校再編計画を打ち出したが、長期留学生が通う北三瓶小・中も統合の検討対象になる。通学先が遠くなったり、受け入れ態勢が変わったりした場合、どのような影響が出るのか。市議時代から実情を知る竹腰創一市長(59)は「山村留学はIターン定住を促す地域振興の側面もあり、教育の側面だけで費用対効果は論じられない。学校再編の協議に当たっては十分考慮したい」と語る。

 また、本郷村は〇六年に岩国市など七市町と合併。旧村独自の事業であるため、地元では存続協議会をつくり、新市に理解を求めている。

 問題の一つは山村留学センターのスタッフの処遇。自身も指導員だった佐古さんは「転勤や勤務条件の制約がある公務員にはなじまない仕事。専門の指導員中心に続ける形がいい」と考える。

 一方、育てる会の山本さんは「日本では野外活動に向ける目が冷たい」と感じる。いかに人を安く使うか、という発想では山村留学の指導員が地域のコーディネーターとして育たない。「若手には農家を回ると面白い、とハッパも掛けてはいますが…」と言う。

 山村留学が持つ教育機能を都市部の子どもに限定せず、農山漁村の子どもたちの体験活動として活用する―。〇六年度に実態調査を分析した山村留学研究会(座長・明石要一千葉大教授=教育社会学)は、山村留学継続のカギをこの点に求めている。そこに住む人がその地域の良さを見直すこと。そんな当たり前のことが山村留学の目に見えない成果であり、継続への原動力といえる。

(2009.2.8)


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