平和教育 模索する学校現場
▽ヒロシマの歴史 現在と結ぶ 被爆体験を原点にしてきた広島の平和教育に、「貧困」や「紛争」など幅広い課題を連動させる動きが出始めた。被爆から六十三年。ヒロシマの歴史と現在を結びながら、平和を築く力をどう養うのか。学校現場の模索が続いている。 宇品中(広島市南区)の体育館。「目の前でゲリラに親を殺されたあげく、自分たちも拉致され、少年兵として戦闘マシンにされたのです」。非政府組織(NGO)日本国際飢餓対策機構(本部・東京)総主事の田村治郎広島事務所長(48)が語り始めると、フロアの二年生約二百人が静まりかえった。 銃を手に戦地を走る子どもの姿、今年二―三月にウガンダで撮影したばかりの元兵士の少女のインタビュー…。ステージ上のスクリーンに映し出される映像に沿って話は続く。 「君たちと同じ年代の子です。想像してみてください。そして、どう手を差し伸べるか考えてほしい」 是正指導が影響 同校では五年前から、世界の貧困問題などを扱う「国際理解」を二年生の総合的な学習の時間に導入。貿易に関するシミュレーションゲームや討論などを通じ、先進国の生活が途上国の資源を吸い上げ成り立っている現実を学んでいる。 世界を舞台に活動する田村所長の講話は、貧困問題が紛争の一因となっていることを知ってもらおうと、国際の授業のまとめとして七月十一日に企画した。 「多くの人が殺されている現状や背景を、これまでの教育では説明できなかった」と、この授業を中心になって進める岡田祐一教諭(51)。「核兵器をなくそう、争いをやめようとヒロシマのメッセージを伝えるには、なぜ争いが起きるのかを理解しなければならない」と異文化理解の重要性を指摘する。 被爆地・広島の平和教育は、被爆者の証言や聞き取り活動、原爆映画の観賞などを通し、体験の継承や平和に貢献できる力の育成を図ってきた。宇品中でも一年生は、総合学習で地元のお年寄りの戦争体験などを聞いている。 しかし、一九九八年の文部省(現文部科学省)の県教委への是正指導以降、平和教育の「自粛」の動きが広がったことは否めない。 広島県教組の教員たちが中心の広島平和教育研究所が二〇〇四年に行った実態調査では、平和教育の年間計画を作成する県内の公立小中学校の割合は23・7%。一九九七年の95・0%から激減している。 高齢化に危機感 被爆者の高齢化がさらに進めば、子どもたちが被爆体験を聞くことができる機会は少なくなる。平和の大切さ、戦争の悲惨さを子どもに伝える教育に、どう訴求力を持たせるのか。現場で悩む教員も少なくない。 こうした状況への危機感を背景に、平和教育の将来像を模索する教員有志の動きも芽生え始めている。 被爆六十年の〇五年、市内の中学校教員五人でつくったグループ「平和科教育研究会」。毎月一回のペースで集まり、児童労働、対人地雷、いじめなどの問題、平和記念公園(中区)での外国人インタビューなど、さまざまな切り口や手法で平和を考え、授業で取り上げるための教材づくりなどを続けている。 会の結成を呼び掛けた城南中(安佐南区)の加藤知之教諭(54)は「平和について、過去でもよそのことでもなく、自分の問題として考えられる力を身に付けさせたい」と活動の狙いを説明する。(見田崇志) (2008.8.4)
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