【社説】 なぜ自殺が相次ぐのだろうか。いじめを苦にした子どもの自殺が続く中で、今度は児童の恐喝が発覚した北九州市の小学校の校長が命を絶った。教育者なのだから「いのちの大切さ」をもっと自覚すべきというのは簡単だが、それで防げるとは思えない。岐阜県では裏金問題の調査を担当する総務部長の自殺もあった。 自殺した校長は、児童が「脅し取られていた」のを「金銭トラブル」と報告。「いじめ隠し」と一部で報道され「隠すつもりはなかった」と謝罪会見を開いたばかり。直接の動機は分からないが、追い詰めてしまうことはなかったか、報道する側や教委の対応などの検証も必要なケースだろう。 昨年まで八年連続して自殺者が三万人を超える「多発国」。自殺は個人の問題ではなく「心の内戦」ともいわれる深刻な事態である。最近気になるのは、命を絶った人から「死のメッセージ」を読み取ろうとする傾向が目立つことだ。自分も同じ、と共感すれば同じ行動をとりやすくなる。いじめを訴える、子どもの自殺の連鎖にもつながる一因ではないか。 背景には「命を絶つことで救いを求める」考え方がありそうだ。しかし元来、命を絶つことにそれほど特別な意味はない。作家の五木寛之氏は「大河の一滴」の中で「人生は苦しみと絶望の連続」であり、私たちは流れる大河の一滴のような小さな存在。あえて自分で死を選んでも救われるわけではない、という。こうした宗教思想的なアプローチも欠かせない。もちろん、犠牲者が出るまで、いじめなどを隠そうとする教委や学校の在り方などは別の問題だ。 六月に「自殺対策基本法」ができ、政府は来年六月までに総合対策大綱をつくることを決めた。やっと国の仕組みづくりが始まる。自殺の実態調査、心の健康を保つ体制整備などが主眼となる。 自己責任が強調され、生きにくい時代。自殺原因は多様で、即効性のある具体策は見えにくい。心がなえたとき、誰に、どこに相談するか。「いのちの電話」などボランティアだけに頼っていていいのか。自殺のサインを見逃さないためには…。うつ対策など精神科医との連携も必要だ。未遂者の経験も生かして模索するしかない。 それも仕組みづくりに終わっては仕方ない。自殺を生む土壌に迫り、生きる価値が感じられる社会に変えていかねば、死のうとしている人には何も響かないだろう。 (2006.11.14)
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