【社説】 高校は、受験のテクニックだけを詰め込む場なのか。そう疑われても仕方ない異常事態である。 卒業に必要な世界史などの必修科目を教えていない高校が、全国各地で続々発覚した。その多くは、いわゆる進学校だ。受験に不必要な科目を教えない裏カリキュラムを作り、英語や数学の授業時間に振り向けていたとされる。 必修科目は文部科学省の学習指導要領で決められており、明らかにルール違反である。学校が教育委員会に提出する指導計画には、うそを記入していた。そもそも高校は、社会に出ても通用する人材を育てる場のはずだ。その教育現場で、うそやルール無視がまかり通っていたのだから深刻である。 根っこにあるのは、高校が受験指導偏重にならざるを得ない状況に追い込まれていることだろう。「学力が低下した」と圧力が一段と強まり、文科省や教育委員会は現場に「学力向上」を求める。保護者からも「何とか有名大学に」とプレッシャーがかかる。高校側も少子化時代の生き残りをかけ、進学率アップに躍起になっている、という図式である。 もう一点、大学入試と指導要領のギャップも気になる。歴史地理の場合、センター試験で受験できるのは一科目なのに、指導要領は世界史と、もう一科目、日本史か地理を選択しなければならない。「当たり前に二科目の授業を受けていたら入試に勝てない」と教師や生徒が考えても不思議でない。 その意味では、高校教育はどうあるべきか、の議論が必要ではないか。なぜ、世界史が必修で、日本史は選択科目なのか、そんな素朴な意見があってもよい。 国会で教育基本法改正案の審議が再開され、政府の教育再生会議も始動した。本当の人間教育とは何か、を地域ぐるみで考える絶好の時期である。今回の異常事態で最も欠落しているのはこの視点だ。受験偏重の弊害を指摘するのは簡単だが、社会全体の意識改革抜きに本当に解消できるのか、そんな議論も期待したい。 実は五年前、広島県立の十四校で全く同じ不祥事が発覚した。あの教訓が生かされず、今回、ここまで広がっていたのは文科省が対策を怠ったからではないか。 気の毒なのは、このままでは卒業できない生徒だ。受験勉強の追い込み時期に補習授業を受けることになりそうだ。その責任は、文科省をはじめ、今の教育全体にあることを重い戒めとしたい。 (2006.10.27)
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