中国新聞


教師の定年前退職増加
広島71% ワースト4位


 ■事務で忙殺 管理も強化

 広島県で、定年を待たずに辞めていく小中学校教師が増えている。二〇〇四年度は退職者の七割にも及び全国でも高率だ。直接的には「健康不安」などの理由でも、その下地に「事務作業の多忙」「管理の息苦しさ」など職場環境を訴えるケースも多い。学校にはどんなストレスがあるのか。当事者の声に耳を傾ける。(編集委員・石田信夫)

 ■教育行政激変で ゆとり回復の鍵は校長

グラフ「広島県の小中学校退職者の割合」
グラフ「広島県の小中学校定年退職者の内訳」

 広島市の小学校の女性教師は今春、定年を三年残して辞める。

 「事務的な仕事に追いまくられて、子どもに接する時間が削られ教材づくりもできない。数値目標が強調されて、まるで会社のよう。子どものために頑張っているという実感がわかない」

 教師としての「幸せ感」がうせて、気力が続かなくなったという。

 〇四年度、県内の小中学校を退職したのは四百九十二人。その七割に当たる三百五十二人が定年前だ。文部科学省のデータから計算すると全国でも四位の高さとなる。内訳を見ると一線の教師が辞める率が圧倒的に高い。

 県教委は「退職理由を聞くようにはなっていない」と調査も分析もしていない。ただ「推測」として田中聡明教職員課長が挙げたのは「割増退職金」「健康の不安」「介護など家庭事情」などだ。

体壊さぬうちに

 しかしそれだけだろうか。さらに広島、福山、尾道の三市で、辞める予定の教師や、辞めて一―二年の人に聞いた。

 冒頭の教師を含めた七人(五十代)の話は、二つの大きな理由に集約された。

 第一は、増えた事務作業による多忙感である。

 「文書、文書で休憩や放課後がつぶれ、子どもに話しかけられても『ごめん、待って』とパソコンに向かわざるを得なかった」という元教師の声が象徴的だ。

 例えばさまざまな計画・報告書がある。年度初めには年間のコマ割りをきっちり定めるカレンダーと、各コマの指導案を示したシラバス。週ごとには週案を出し、報告もしなければならない。

 評価の作業もある。絶対評価になってからは授業中の発言や態度などの細かい記録が欠かせず、「補助簿」つけにも手を取られる。ほかにももろもろの報告書や公開研究会のための文書…。

 「手いっぱい状態のところにさらに増えた。たまってしまうと八時、九時の残業はざら。辞めるなら体を壊さないうちにと仲間内で言い合っていた」と話す人もいた。

 第二の理由は、裁量が狭められたことによる心理的な不全感だ。

 例えば授業の仕方。とりわけ小学校では子どもに合わせて柔軟な授業をしたいのに、カレンダーとシラバスに縛られる。

 「けんかがあったとき、授業をちょっとおいて話し合うという時間が以前はとれたが、今はその場をおさえて授業しないと予定がこなせない。変更届を出せばいいといっても気持ちの上で難しい」と別の元教師は話す。

 校長権限の確立による制約もある。職員会議は今「伝達の場」でしかなくなり、学級通信一つ出すにも起案―許可が必要になっている。

 「職員会議で質問にも答えてもらえず、何を言ってもだめとの雰囲気」「言われる通りに一生懸命合わせてきたが、どんどん苦しくなった」などの声も聞いた。

是正指導の衝撃

 県の教育界の出来事をたどる。衝撃的だったのは文科省による異例の是正指導(一九九八年)。多大な摩擦や犠牲を伴って校長による学校管理体制が整い、やや落ちついたと思ったら今度は新指導要領(二〇〇二年)。学校五日制や絶対評価が導入され、合わせてシラバス作成や学校自己評価システムも始まる。

 局地的な大波に続いて全国的な高波が押し寄せたのが広島県といっていい。二つの波にもまれて心理的・時間的にゆとりを失い閉塞(へいそく)感を抱いた教師が、健康不安などを機に職を去る―という道筋が浮かび上がる。

 あらためて県教委の二見吉康・指導第一課長に見解を聞く。

 「是正指導で、組合が主導してきた学校は正常化された。目標を決めて行動し結果を示すのは時代の要請であり、そのために校長をトップに組織を整え、シラバスなどで説明責任を果たすのは当然。慣れたらそこまで負担にはならないはず」

さじ加減が必要

 現場の声とはなかなかかみ合わない。といって放置するには事態は深刻過ぎる。早急に考えるべきは次の二点と思う。

 (1)今の仕組みが教師にいたずらな多忙感を与えているとすれば、どう運用を改善するか

 (2)「是正後遺症」などで教師のやる気が損なわれたとすれば、どう手当てするか

 キーマンは権限を持った校長だろう。先に挙げた事務作業も、実は校長によって求める密度にかなりの差があり、現職校長の一人は「そこまではしなくていい、との主体的判断が必要。私が最優先するのは先生を動きやすくすること」と明言する。そうした考えで運営されている学校へは異動希望が多い。

 とすれば校長に求められるのは、教委の方針に過敏にならず、こうしたさじ加減を図る「マネジメント力」や、教師の話を受け止め、この人が言うのならと思わせるような「人間力」を発揮することではないか。

 県教委も、そうした人材を見抜き、勇気を持って任せることで、現場の生気も戻るはずだ。

 「教師が元気でなければ子どもも元気にならない」。県教委からも、県教組・全教広島の両組合からも同じ話を聞いた。目標地点が一致していることに期待をかけたい。

●教師の長所を校長が認めて

 県教委の施策にも研究者としてかかわった広島大大学院教育学研究科の林孝・助教授(52)=学校経営学=はこう話す。

 シラバスや絶対評価は教育の成果を上げるための装置や道具で、子どものためのものだ。しかし急な導入で消化しきれないと、教師は「やらされている」と感じる。子どものためにやっているとの実感を持てないとしたら問題だ。

 学校が、その地域に合った目標を設定し、それを実現する方法を考え、結果が子どもに表れて親も喜ぶ―という本来の循環が動きだすには、地域が学校のいい点を承認し、校長が教師のいい点を認めるところから始めるのが早道だろう。


 是正指導 当時の文部省から1998年、広島県教委と福山市教委に出された。(1)卒業式などで国歌斉唱・国旗掲揚がされていない(2)校長権限が制約されている(3)授業時間が不足している―などの状態が問題となった。県教組などは「現場の実態を無視し、混乱を招く」と猛反発した。

(2006.2.26)


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